原点

絶望という名の友人

絶望という名の友人

何の問題もないように
 見えるのに
苦しんでいる自分に気づいて
   びっくりした
苦しみの正体を掴みかねる
その状況は
 絶望を友達にもったような
 変な具合だったな
そんなとき 突然    
その友達が話し出したものさ

おれを友達扱いするなんて
おまえって ほんとに
 変なやつだな

おまえに言われたくないよ
と のん気平兵衛が言い返すと
それもそうだな 
といって笑ってた

その友達と二人だけで
 旅をしたこともあるんだ――

それは奇妙な旅だった
 いつ転げ落ちるかも知れない
  崖っぷちを歩いたり
  一晩寝ないで話し込んで
  苦しみというやつを肴に
  大酒を飲んだり

別れた最後の日
 あいつはこう言ったっけ
  おれは行くぜ
  お前と一緒に居るのは
  疲れるからな
 おれは ひとの嫌がる
 (絶望)なんだ
 おれを友達扱いする奴と
 いつまでも一緒にいられるか

あれ以来
 わしは (絶望)に
 出会ったことはないのさ
今頃 あいつ どうしてるかな?

P1070999

○ トピック
この詩は、悩み多かった若いころに書き残していたものですが、年老いていく今とは対照的に、若者をとらえていたのが漠然とした苦悩だったのに気づかされました。
 思春期の若者の過敏すぎる感受性の賜物なのでしょうが、大人になる過程で、一つ一つあまりに強すぎる絶望や悲しみに対しては避けるのではなくそれを受け入れ、絶望や悲しみと友人になってしまうようなことが行われていたのではないかと改めて気づかされました。
どうやら人間は絶望には耐えられるようにできているらしい
なぜなら、絶望の次には、希望が控えていることを知っているから

 その言葉には、人間は絶望には耐えられるのだが、どうにも耐えられないのは、絶頂まで上り詰めた後の、いつまで続くか分からない下りなのだという思いが込められています。そのうえで、下りが上り切ったことへのご褒美であることに気づけば、下ることを楽しむ気持ちになるというところまで、人生をアグレッシブルに捉えるべきであるという思いが込められているのですが、いかがでしょう。
 間違いなく人生には上りも下りもあります。そのことを知ったうえで、どのように生きるかが、生きているわたしたち一人一人に預けられた課題なのかも知れません。
 結果として詩のもつ持ち前のマジックパワーを発揮して絶望と希望の間を揺れ動く生身の人間の精神的ワープを可能にしているように感じています。
 詩は、人生に疲れ、何もかもがいやになったような時、あるいは何か割り切れない憂鬱な気分に閉ざれる絶不調の時にお読みいただくなら、ご自身を、その悩んだり苦しんだりさせている心の闇から、ワープさせてくれるのではないかと思っております。

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